おまちゃん徒然な過去ログ
++その3++


1月29日のおまちゃん

新年も明けて早ひとつき。
時の流れは着実で、本当に早いものです。

イタリアでは「L'ANNO NUOVO, LA NUOVA VITA」といわれ
新しい年は新しい人生の始まりってな感じです。
今までそう実感したこともなかったこの言葉ですが、今年は身に染みます。
私にとっての再起の年になるだろう2001年。
まさに新しい人生の始まりという感じです。
けじめをつけるためにと見に行った
初日の出が言葉にできないほど美しく、
久しぶりに心が震えるような感動を覚えました。

年末に同居人の真理子ちゃんが引越しを済ませ、
続いて、新年明けて半ばには
これまで物理的にも精神的にも6年間色々支えてもらった石田親分も引越しを済ませました。
そして私は一人でこの家に残ることとなり
なんだかもの寂しい感じがしています。
3人の共同生活は色々と習慣の違い、ものの考え方の違いから
問題もたくさんありましたが、非常に楽しかったのです。
私は自分に厳しい以上に他人にも厳しく、
同居人には実際、辛い思いをさせたこともあったと思います。
一人残ってみて、そのことについても色々考え反省することもしきり。
もっともっと大人にならなくてはいけないのでしょう。
6年間に渉る共同生活の中で学んだことは、私の人生の中で非常に大切なこと。
私に学ぶチャンスを与えてくれた、同居人であった数々の友人たちには
感謝してもしきれないほどです
なによりも6年間、私のわがままに付き合い
時には宥め、叱り、励ましながら、
自分の持っている知識を惜しげなく与えてくれた石田親分
本当にありがとうございました。
吉川晃司とビリーと石田親分がいなかったら私のイタリア生活は成り立ちませんでした。
なかなか一人で旅立てずに大変お世話になりましたが、
ようやく一人立ちできそうな気がします。
これからもよき兄貴分として慕わせていただきます。
ビリーにとっても素晴らしいお友達でいてくれたこと感謝しています。

一人暮らしを始めて、模様替えもしてなんとか落ちついてきたところです。
さすがに3人で暮らしているときには窮屈だったこの家も
一人で暮らすには広くてがらんとしています。
ビリーは至る所が自分のお城になり、嬉しそうに走り回っています。
しかし、この機会にベットを2つくっつけて大きくしたのですが、
相当寝心地がよいらしく、暇さえあればお布団でごろごろしているという
ものすごい「ぐうたら犬」になっています。
私はといえば、一人だから誰にも気がねなく・・・
家中に吉川晃司を氾濫させる計画を実行中。
年明けてようやく届いた2001年のポスターカレンダーを大々的に貼りました。
その前でおいしいお茶を飲むのが今は至福のひと時。

体調を整えながら、仕事も再開。
寂しいながらも充実した1年の始まりという感じです。

2月1日は吉川氏のデビュー17周年であると同時に
このサイトの3周年でもあります。
昨年は更新の回数もめっきり減ってしまって、私自身残念で仕方ありませんでした。
3周年を迎えるまでお付き合いくださった皆さん、ありがとう。
これからもマイペースでボチボチ続けて行こうと思います。
どうぞよろしく。

2月26日のおまちゃん

ここのところ、いそがしぶって更新が遅れに遅れていました。
あっという間に花粉の季節が到来です。
毎年この時期になると、花粉症の典型的な症状で苦しむわけですが、
今年のフィレンツェが暖かかったせいかなんだか早く始まったような気もします。
毎年毎年、症状が悪化していると思うのは私の気のせいなのかしら??
ビリーもボチボチ洟垂れ小僧と化しています。
親子そろって大変なことです。

2月19日
ワインの試飲会ということでいそいそ出掛けてきました。
しかし、おまちゃんがアルコールにめっきり弱いのはかなり有名な話。
結局会場まで行ったものの、
人出の多さに驚いたのと
招待状の関係で遠慮して会場の外をお散歩するに留まりました。
友人4人と出かけたのですが、
私ともう一人はアルコール×。残りの二人はワイン大好き。
招待状は2枚。必然的に2名は選ばれたのでした。
最近は自分で車の運転をして走ることの多かったフィレンツェ−シエナの道を
久々に他人の運転で行き、
初春のトスカーナの景色を存分に味わってきました。
今はアーモンドの白い花が満開です。
それから西洋アカシアの一種ミモザも見事に咲いていました。
3月8日はイタリアは女性の日。
この日にミモザの花をプレゼントするのが習慣になっています。

日本からの友人を迎えて張り切ってフィレンツェ観光したのですが、
不覚にもドゥオーモのクーポラに上る455段の階段に負け、
なんと頂上でへたり込んでしまいました。
体は鍛えておかないといけません!!
いい天気でよい眺めだったのにもかかわらず、
とても満喫できる気分ではなく残念。
そのときの様子は
「ばぁちゃル・フィレンツェ」でどうぞ。
それから長らく足を運んでいなかったウフィツィー美術館
1993年の爆撃による被害の修復も着々と進み
ようやく右翼の閉鎖されていた部屋も公開され始めました。
まだまだ完全な形ではないのですが、
徐々に調ってきている感じがしました。

2月終わりにきて急に冷えこんだフィレンツェ。
なんと25日夜、小雪が舞い散りました。
夜中に厚着してビリーと雪を確認しに下まで降りて行ったのですが、
ビリーったら初めての雪なのに、暗かったせいかなんの興味も示さず
おしっこして帰ってきちゃいました。
小雪というかぼた雪でなんかガッカリ。
もっと冷えこんできれいな雪が舞ったらビリーと遊びたいなぁ。

吉川さんのツアーが始まりました。
今回のツアーも行けそうになぁい!!


4月1日のおまちゃん

あっという間に2001年も4月に突入ですね。
30を過ぎたら時間の流れはさらに早くなるってよく言いますが、
今年三十路組のオマタも時間の流れが早くなっているような錯覚に陥っています。
もちろんイタリアで呑気に暮しているので、日本で暮している同年代の人に比べたら、
全然お話にならないってことでしょうけど…。
気侭に続けてきたこのHPの更新も開設当初の三年前は毎週更新だったのが、
今ではほぼひとつきに一回のペースにペースダウン。
こんなことではいけないとちょっと気持ちを入れ替えようとおもっているところです。春だし。
しかし、仕事が次から次へとやってくるのは、
さすがにここに6年間も腰を据えたおかげなのかなぁと思います。
ちょっとくらい忙しく働いて、稼がないとねぇ…。

ご存知の方もいるかと思いますが、イタリアでは新聞配達というシステムがありません。
近所のキオスクに行って自分で買わないといけません。
もちろん体の不自由な方や、階段の上り下りが大変なお年よりの所には
近所の顔なじみのキオスクのお兄ちゃんが配達したりすることもあるみたいですが。
元気なオマタにはそんなサービスは適応されません。
どのみち毎朝ビリーのお散歩に出かけるわけで、その帰り道に新聞を購入しています。
オマタの愛読しているのはLA REPUBBLICA。
こっちの新聞には色んな付録がついてきたりするんですが、
4月2日から、このLA REPUBBLICAには毎週月・火・水に
ヨーロッパを制するための四言語という重々しいタイトルの小さな冊子がついてきます。
すっかり英語を忘れてしまい、どつぼにはまっているオマタ、
これはチャンスと思い、ちょっとお手軽な勉強をはじめようと思いました。
この冊子で選ばれている四言語は英語・スペイン語・ドイツ語・フランス語。
大学時代には英語もスペイン語もドイツ語も授業を受けていたのに、
恥ずかしながら、まったく身にならなかったオマタ。
今更どうなることでもないのかもしれないけれど、春だし。
なんだか新しいこと始めたい気分なのです。
なぜ春ってそういう気持ちにさせるのでしょうね?
イタリア語しかできないってことのデメリットをつくづく感じているここ何ヶ月。
何とかしなくちゃ、現状打破!!

ちょっとした記事を読んでいて猫のエイズっていうのを発見。
HVIとは言わずFVIというみたいですが、世界での発症率の高いのは日本とイタリアなんだそうで。
説明では血液に直接そのウィルスが入らなければ、感染は難しいらしいです。
もちろん人間には感染しないと証明されています。
猫は縄張り争いをして流血の喧嘩をするから、その時にウィルス感染するのだというのですが、
なぜイタリアと日本に多いのかというと、どちらも都市部の居住環境が似通っていて
狭い範囲に何頭ものオス猫が存在するため、どうしても本能的に縄張り争いが多くなると。
そう言われて考えると、確かに
うちの周りも家々がびっしり密集。
軒を重ねるなんて類のものではありません!!
しかしながら、猫が外に出ているのをあまり見かけないんですよね。
みんな室内飼いで外には出さないっていう感じなのですが。
うちの中庭にも2年前までは野良猫がいっぱいいましたが、クルミの木を伐採されたのと同時に
猫はおそらく「処分」されてしまったので、今は一匹もいません。
それでも猫のエイズは多いのかぁと少々考えてしまいました。

続々と長い修復を終えた作品がフィレンツェにも戻ってきます。
詳しくは
「イタリア昨日・今日・明日」をご覧ください。

それから日本でも報道されていると思いますが
いわゆる狂牛病の影響で
なんと4月1日からフィレンツェ名物「ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ」が禁止ということに。
まぁ、完全にお肉が食べられなくなるなんてことはありません。
旅行者のみなさまに少しでも役立つようにと小さな特集記事をまとめました。
詳しくは
「ばぁちゃる・フィレンツェ」でどうぞ。
5月12日のおまちゃん

また更新できないままひと月が経ってしまいました。
伝えたいことは一杯あるのに、残念な気持ち。
久しぶりにきちんと規則的な仕事をするようになって早1ヶ月。
低血圧のオマタには朝の早起きはかなり厳しいものがありましたが
馴れっていうのはある程度あるものなのかな?
最近はそれでもそう辛い思いをせずに起きられます。
でもやっぱり朝は時間がない。日本にいてもそうだったけど…。
あと5分早く起きたら楽なのに…。 頭でわかっていても、体はそう簡単に従ってくれないし。
日本にいたときと違うのは、ビリーがいること。
ビリーのことを思うとギリギリまで寝ているわけにはいかず。
お散歩に行けるだけの充分な時間を取らないと、 うちの王子さまはすぐにご機嫌ナナメ君になるので。

一人暮しになって4ヶ月が過ぎ去りました。
当初は同居人を探すつもりでいたので、 部屋も結構コンパクトにまとめていたものの
気付いてみたら、どの部屋にもオマタの私物が散乱しているという感じ。
何人か部屋を借りたいと言ってくれた人がいたのですが 今の状態ではとても誰かと一緒に暮らせない…。
誰かを迎えるのなら最高のコンディションで迎えたいと考えるので、
今の留守がちな状態では、申し訳なくて。
そんなわけで部屋と仕事が落ちつくまではまだ一人暮らしを続けるのかな?
一人でいるせいで食事が不規則になり
あんなに好きだったお菓子作りも張り合いがなくて
ちょっと遠のいてしまっている今日この頃。
何かの機会を見つけてはできるだけケーキも焼くようにしているけれど
なかなか新しいレシピに兆戦できないのが実情。
失敗が許されないという状況ばっかりでね。
暇を見つけてはみている料理雑誌で見かけるお菓子に興味はあるのに。
近々まとまった休みが取れたらチャレンジしたいな。

世界的にも有名な、超カルト・ムービー。
ロッキーホラーショー。
石田親分の影響ですっかりはまってしまい
そのうち石田親分を凌ぐほどのファンになるやもしれないという勢い。
5月6日にはフィレンツェのテアトロ・ヴェルディでの公演を見にいってきました。
傍目にはただのえげつない色物なのかもしれないですが
実はこれが人生哲学なんですよ。
何回見ても飽きないし、見るたびにはまっていってしまうのもそのせいでしょう。
公演の3日前にチケットを買いにいくはめになり、ほとんど空席もなかったけれど、
購入した席は2階の舞台袖。
ナナメから見る感じになったものの、出演者がかなりの近さによってきてラッキー。
カルトといわれる所以でもある観客参加型ショー。
実際に「小道具リスト」も存在するくらいで、オマタも色々用意していったのですが。
ショーが始まると、小道具のことを考えることもできず、
ただひたすら見入るばかり。
ショー自体が英語だからというのもあり、ちょっとも気が抜けない!!
しっかり踊って騒いで楽しんだ2時間でした。
いつかはイギリスの本場のライブでみたいなぁ。

8月13日のおまちゃん

暑い夏が過ぎていきます。 今年の夏は暑かったよ、まじで。
40度くらいの日もあったし、クラクラの毎日でした。
でもおかげでいっぱい楽しんじゃいました。
後輩一家、それから毎年恒例の両親のイタリア旅行と
立て続けにイタリア中を回り、新鮮な空気をいっぱい吸い込んで体調も万全。
で、調子にのりすぎてちょっと涼しい日に2日続けてプール通い。
一日目は仕事している語学学校の生徒さんと一緒に
カンポ・ディ・マルテ(CAMPO DI MARTE)のプールへ。
ここのプールはなんと高飛び込みの飛びこみ台を一般市民に公開しているというので
かつてから密かな私のお気に入りでありました。
3メートルの高さから水面に落ちていくのは、言葉にできない爽快感です。
でもね、1つ難点が。ビキニで飛びこむと水面に上がるまでの修正が大変です。 ???
そして2日目は偽アンディーとそのお友達、それから私の大事なお友達ひろたんと
総勢7人でアルノ川沿いにあるプール(BELLA RIVA)へ。
その日は朝かなりの曇り空で「泳がないぞ」と決心。
プールについてもほとんど誰もいない。
泳いでいるのはスイミングクラブのじぃちゃんばぁちゃんばっかり。
そこで。
急遽ピンポン大会開催。あまり上手でない私はボロ負け。
しかし、ピンポンしたら汗かいちゃって、どうしてもプールに入りたくなった!!
朝の決意を翻し、水の中へ。ツメタイ。
泳げば寒くないということで100メートル平泳ぎを敢行。
久しぶりに真面目に泳いだけど、まだ泳げるものですね。 みつごのたましいひゃくまで。
その後もピンポン大会、ドミノ大会、飛びこみ大会、潜水大会。
いい大人がまるで子供のように遊んでしまいました。
みんないい年なのにねぇ。イタリア人の楽しみかたってイイ。
夕方までたっぷり遊んだ後は、夕飯食べてそれから野外映画館へ。
イタリアは夏になると街中の映画館は閉鎖になります。 (エアコン使わないからでしょうねぇ。)
涼しい夜の時間だけいくつかの野外映画館がオープンして星空の下のスクリーンで映画。
一見ロマンチックだけど、蚊の襲撃に遭うことは必至。
この日に見た映画は「TRAFIC」メキシコのドラッグの話。
見ている途中から寒気はするし頭は痛いしで帰ろうかと思いもしたけど、
映画も良かったし、みんなの手前独りだけ帰るのもなんだしということで
最後まで見ていたら真夜中。 しかもおうちに帰るまでにはバイクの後ろに乗って行くという離れ業。
家に辿り着いてビリーを見たときにはビリーの顔がバォーンバォーンとしてました。
で、翌朝から風邪で三日間も寝こむという結果になりました。
4日目にはなんとか起き出したものの咳が止まらないし。
こんなことで仕事を1週間も休むことになるとは…。
おかげでちょっとHP更新できちゃったけど!!
一番嬉しかったのはやっぱりビリーさんでしょう。
「おお、おまちゃんがおうちにいるぞ。」「あ今日もいる!!」って感じ。
この風邪ダウンの間に色んなサイトも見つけたし。
棚から牡丹餅?違う。
こういうときのものの言いかたってなんだったかしら?
日本語が情けない。
10月8日のおまちゃん

9月は急に涼しくなって、もう海もプールも終わりだねと思うほどでした。
衣替えも例年より早めに済ませて
秋の訪れを迎えたはず、だったのに、
10月になったらちょっとあったかくなってきて
もう半袖のシャツはほとんど仕舞っちゃったのに…。

でも空は高くなり、雲は薄くなり、そして風は秋の色をはらむようになり。
フィレンツェの街角には焼き栗やさんの姿がちらほら。
小さめのクリのカワにナイフでちょっと切れこみをいれ
それをただひたすら炭火でゴロゴロ焼くだけの簡単焼き栗。
でもこれがほくほくしてて案外おいしいの。
イタリア人の秋冬のお散歩のお供です。
5000リラで10つぶくらい袋に入れてくれます。
上袋は二重構造になっていて手前にクリがはいっていて裏側にむいた皮をいれることができます。
しかし、もちろんイタリア人は歩きながらポイポイ道端にカワを捨てていきます。
せっかくのアイデアを無駄にしている…。
かくしてこの季節は道端にクリの皮がいっぱいになるのでした。

最近漫画づいていました。
子供の頃あんまり漫画を読まなかったのですが
こちらに来て日本人の友人同士で本の貸し借りをすると
なかには漫画も含まれていたりします。
読み始めると止まらなくなり、結局明け方近くまで読みふけったり。
フィレンツェには日本語の本を扱う書店がまだなく
パリに行った友人が購入してきたり、日本から送ってもらったり。
こちらに来たばかりの頃は日本語を忘れていくなんて夢にも思わず
日本語の本にはあまり興味を示さなかったのに
さすがにこちらの生活が長くなってくると忘れているんです、日本語の単語を。
たまにとはいえ、日本語を教えている手前
基本的には正しい日本語を記憶しているつもりですが
日本からの友人を迎えたり電話で話したりすると
ちょっとした単語が出てこなくて説明に苦しむことがよくあります。
外来語は特に忘れやすいですし、四字熟語もよく忘れます。
メールを書いてもコンピューターが勝手に漢字変換してくれるので
いざというときに漢字が書けなくなっているし。
(これは日本にいても同じだったろうけれど)
そんな訳で例えば漫画であっても日本語でモノを読むことはやっぱり必要。


12月17日のおまちゃん
12月も半ば過ぎ。
大騒ぎで始まった2001年もあとわずかで終わっていきます。
時の流れを早く感じるようになったのは私が年を重ねたせいでしょうか?
握り締めた手のひらを開いた途端にそこにあった羽根が風で飛ばされるような
そんな感じの1年でした。

この1年で一番変わったのは生活環境。
これまでの共同生活にピリオドを打ち、一人暮らし。
そして偽アンディーとビリーとで始めた奇妙な共同生活。
昔助けてもらった恩を少しでも返せればと勤め始めた語学学校での日々。
フィレンツェでの暮らしが7年目になり、また一歩前進を余儀なくされた1年でした。
この街は重い歴史の中に沈みこみ、新しいものをまるで受け付けられない体質。
その中にあってわずかながらの変化を捉えては前に進んでいく力。
その力が少しでも自分に備わっているならいいなと今は素直に思います。
新しい年を迎える時にこの過ぎ去りし日々を後悔することなく
明日への糧にできればそれが一番。
そうすることで人は学び成長していくのでしょう。

11月の帰国を前に祖母がこの世を去りました。
小さい頃から一番近くにいながら遠い存在でありつづけた頑固で我侭な祖母でした。
年を経るごとに体は弱くなり、意地だけは強くなり
周りにいるものを精神的に参らせてばかりいた祖母でしたが、
そうすることでしか自分を表現できなかった寂しい彼女の心と一人で暮らすことへの不安を
今はぼんやりと理解できるような気がします。
帰国して毎日彼女の仏壇のそばで寝起きを繰り返し
今まで触れられなかった心の片隅を覗かせてもらったような感じです。
人は決して一人では生きていけない。
どんなに強がっても心のどこかで理解されることを待っている。
その表現の仕方をもっと上手にならなければコミュニケーションは生まれない。
この世を離れてようやく私の心に辿りついた祖母の心を
大切にして生きていくのが残されたもののささやかなお返しなのかな。

フィレンツェに雪が散りました。
冷え込みが厳しい年末になりそうです。
2001年を振り返り、2002年に祈りを込めて
BUON NATALE E FELICE ANNO NUOVO