おまちゃんの徒然な過去ログ
++その2++

12月18日のおまちゃん

こちらは雨のクリスマスになりました。
4日間降り続いた雨のせいで、フィレンツェのアルノ川は再び水位を増して
市民を心配させましたが、まぁひどい事にはならずにすみました。
しかしながら山間部ではかなりの雪になり、雪崩の心配も出ています。
今年の始めにやってしまった骨折のせいで
今シーズンのスノーボードをどうしようかと悩んでいるところで、
山に雪というニュースを聞くと心が疼くオマタです。
このクリスマスの雪のために、ミラノマルペンサ空港では300以上の便が欠航となり、
多くの人がクリスマス休暇を不意にするという結果になりました。
大都会どこの国でも雪や雨に弱いのでしょうかねぇ。
今回のこの大雨はなんと記録的なもので
1895年以来ということらしいです。
11月に雨が多かった年は12月のこの時期に比較的降水量は多くなるということですが、
それにしても大変な雨でした。

その雨の中24日の夜はフィレンツェのドゥオーモで行なわれたミサにでかけてきました。
今年は2000年ということで、聖年(ジュビレオ)であり、
教会側では色々と考えるところもあったとは思いますが、
何といっても雨のせいで人出は少なかったように思います。
22:45にウチを出てドゥオーモに着いたのは23:00ちょっと前でしたが
中央の着席できる場所にかなりの空きがありました。
もちろんしっかり座らせていただきました。
おかげでミサの間、落ちついてしっかりとありがたいお話を聞くことができました。
ここぞとばかりにいろいろお祈りもしてきたし、
これで2001年はとてもいい年になるに違いありません。

18日のビリーの4回目のお誕生日も盛大にお祝いしてもらい大変嬉しかったです。
なかなか最近はウチでパーティーをできる状態ではなかったのですが、
久々に20人分の料理を作るという荒業も楽しかったです。
今回は日本食メインで、それはそれで喜んでもらえたみたいだし。
たくさんのプレゼントと温かい気持ちをいただいてビリーも私も大満足。
更にひと回り大きくなったビリーではありますが、
かわいさは相変わらずです(親ばか)。

私はずっと前から買い換えたいとおもっていた携帯電話をとうとう買い替えてしまいました。
これまで使っていたところと同じメーカーですが、上位機種。
薄がたで軽くなりました。

2000−2001年のイルミネーション私の一番のお気に入りは
VIA DELLA SPADA・VIA DEL SOLE・VIA DELLE BELLE DONNNE周辺のもの。
こんな感じです。
トルナブオーニ通りからサンタ・マリア・ノヴェッラ教会に向かう辺りです。

2000年は私にとって忘れられない年になりました。
新年早々スノーボードで骨折し
その後夏には尿道炎が発覚。
2度も救急病院の御世話になるとは思ってませんでしたね。
自分の体調不良に加えて、
愛犬ビリーが、げっそり痩せてしまうほどの危機に陥り
一年中どこかで薬の匂いを嗅ぐような生活でした。
そして
ひとつの物語りに終止符を打つことになり、
新しい物語りを描き始めることになり。
全ては偶然ではなく、
今の私にとって必要な変化であったのだろうと今は思えます。
この変化が近い将来に何らかの実を結ぶと信じて
ただ前に向かうしかないのでしょうね。
新しい時代がすべての人に平等に訪れるように
すべての人にそれぞれの幸せが訪れますように。

一年間お付き合いいただきありがとうございました。
そして新しい年が明けてもどうぞよろしくお願いします。
12月10日のおまちゃん

長らくなりを潜めておりました。
久々に更新することができて、大変嬉しく思うオマタであります。
体調の方はボチボチといったところで、
これを口実に家でゆっくり暮らしております。
元々結構な虚弱体質だったことを改めて実感した日々でした。
海外で暮すということのストレスに知らず知らず痛めつけられていたのかもしれないです。
鍼治療だけが頼り、そしてビリーだけが心の支えであります。
頼りの鍼の先生が2月まで日本に帰国中なので、
それはそれで不安ではありますが、今のところ大した変化も起きず無事に暮らしております。

フィレンツェは11月の雨季をなんとか大きな被害もなく乗り切りました。
歴史的に大きな洪水はこの時期に起きているのですが、
今年は結構降水量が多かったので、アルノ川の水位も思った以上に上がり
心配していたのですが、すれすれのところで雨季が終わったという感じです。
自慢することではありませんが、普段でも汚いアルノ川、
氾濫なんかしたら一体何が流れ出てくるのやら・・・。
そして雨季が終わればもうすっかり街中はお祭気分です。
12月は聖母マリアのお祭に始まり、クリスマス、そして大晦日と
賑やかなお祭が続きますから、イタリア人はもう浮かれっぱなしです。
仕事なんてしていられるかっていう気分なのでしょうねぇ。
街の中はイルミネーションがつけられ、広場にはツリーが設置され
中心街のほとんどのお店も24日までノンストップ営業に入りました。
数年前では考えられなかったことですが、日曜日も営業する店がかなり増えましたね。
観光客、そしてそういう生活に慣れている在住日本人には嬉しい変化です。
ただクリスマス自体はお休みするところが多いですから、これから旅行にくる方はお気をつけください。
結構色々イルミネーションも趣向を凝らしていますが、
2000−2001年の私の一番のお気に入りは
VIA DELLA SPADA・VIA DEL SOLE・VIA DELLE BELLE DONNNE周辺のもの。
なんてことはないんですけどね、きれいです。
(一番最後まで設置に時間がかかってました・・・。)
トルナブオーニ通りからサンタ・マリア・ノヴェッラ教会に向かう辺りです。

18日は愛犬ビリーさんの4回目のお誕生日です。
私がビリーと暮してもうそんな時間が流れたのかぁ、としみじみ。
ビリーの髭にも白いものが混じるようになり、
私の肌も寝皺が取れにくくなり(爆)
時の流れは着実に我々の背中に降り注いでいるのですね。
素敵な歳を重ねるのならそれでいいのです。
今年も18日は大賑わいの誕生パーティにするつもりです。
ビリー本人がどこまで理解するかは別として・・・。
最近はデブになったと専らの噂のビリーさん。
食べても食べても欲しがる、その食い意地は一体!!
ずっと痩せ過ぎだったビリーなので、ちょっと太ったほうがいいのですが、
太っただけでなく筋肉もついているので、抱くとずっしり・・・重い・・・。
まだまだ元気なビリーということで・・・。
誕生日のメッセージいつでも受け付けております。よろしくね。

2000年が終わり、そして今世紀が終わっていこうとしています。
この時代の移り変わりの瞬間を生きれることに感謝しています。
忘れてしまいたいこともたくさんあったけど、
記憶にとどめておきたい素敵なことも山ほどあった1年でした。
大きなさよならがあり、そしてそれに代わる大きな出会いがあり。
いつの時もそういうものであるのに、それがやけに胸に染みるのは世紀末だからなのでしょうか。
どんな時代にも
冬の冷たい空気の中に素晴らしい明日を見つけられる、
そんな勇気を神様は我々にいつも教えていてくれたのでしょうね。
最高の世紀末をお過ごしください。

9月25日のおまちゃん

これはかなり大変なことになりました。
というほどでもないのですが。
8月半ばに血尿を出して、フィレンツェの救急病院にかかってからひと月。
あまりきちんとした診察をしてもらえなかったという気もしていたせいか
どうもすっきり治った感じがしないままでした。
そんな9月の半ば、再び血尿。
これはもうかなりやばいと感じ、
必死でローマの先生に電話をかけ続けました。
ようやく9月15日の午後診察してもらえることになり、ローマへ行ってまいりました。
結果的にいえば、尿道炎。
再再発してかなり状況は悪化しているということでした。
しかし、今回も薬で治療するだけでなんとかなるという話。
尿検査の結果、色々ご指導いただき、納得した次第です。
細菌にやられやすい体質と言われてしまい、
この先も不安はついてまわりそうですが、
とりあえず、病名がはっきりしただけでもよかったかと。
ひと月前にフィレンツェの救急病院で投与してもらった薬は
実はかなり強いものだったらしく、
それで完治しなかったということは・・・。
今回の薬はタイプの違うものをということで投与してもらいましたが、
こちらもかなりきつい薬のようで、現在少々副作用に苦しんでいます。
これですっかり殺菌してしまえば、これさえ乗り切ればと思って
ただひたすらに堪えているというところです。
しばらくは安静にして、体力を回復して抵抗力をつけなくてはいけないということで、
仕事も減らして、家にいるようにしています。
ビリーさんには降って湧いた幸運かもしれない・・・。

石田親分が忙しくイタリアを駆け巡っています。
15日からは石田さんの大好きなクラシックカーレース。
グランプレミオ・ヌヴォラーリ
今回は本拠地がマントヴァという事で、
マントヴァから出発してトスカーナとエミリア・ロマーニャを回ってマントヴァへ。
16日にはフィレンツェを通過するということでおにぎりもって応援に行きました。
変なヘルメットかぶってにこにこしている怪しいおばさんは誰??
と思ったら、それがまさに石田さんでした。おばさんっぽい・・・。
とても幸せそうな顔してました。
3日間走りぬけて、最終結果は・・・。
残念なことに3日目でリタイアしてしまったそう。
今回は日本人参加者も10名ほどいました。
また色々古い車を見せてもらって私も大満足でした。
ドゥオーモの裏手を170台のクラシックカーが抜けて行ったのですが、
そのコントラストは美しかったのですが、排気ガスが・・・。
かなり黒い煙をはいて轟音を響かせて行く姿はなんとも。
これって空気汚染??
でもクラシックカーだもんね。いいかぁというところがイタリア的ですね。

フィレンツェ辺りはすっかり朝晩の冷えこみで肌寒く感じるようになりました。
まだまだ日中の陽射しは強いという気もしますが、
夏は終わってしまったのですね。
日もぐんと短くなってしまって、もう8時にはすっかり暗くなってしまいます。
ビリーさんは1日中
温かいお布団に包まってスヤスヤしています。
(これは夏とあまりかわらないか??)
9月1日のおまちゃん

夏ばてというわけではないのでしょうけど、ちょっと体調を崩しておりました。
8月半ばに血尿が出てしまい、再び救急病院へ。
今年は新年早々から骨折で救急病院に世話になり、
これで2度目。なんかついていないのかな?

実は4年前にもイタリアで尿道炎をこじらせているオマタ。
その時はローマにいる日本人のお医者さまに診ていただいて、治療したのですが、
癖になるといけないからきちんと治しましょうと言われ、そうしたつもりでしたし、
実際4年間そういう兆候はなかったのに。
今回も血尿したときにローマの先生に診ていただくのが一番と思ったのですが、
いかんせん、8月15日は「聖母被昇天祭」という事で、
先生も夏のヴァカンスだったようで。
電話がまったく繋がらず、
仕方なく、不安を抱えたままフィレンツェの救急病院へ行くことになったのでした。

救急病院だけに運びこまれる患者さんで急を要している方からの診察ということになり、
見た目あまり辛そうでない私なんかはずっと後回しに。
しかし、ここはイタリア。要領よくいかなくては。
私よりも先に待合室にいたアメリカ人の女の子はまったくイタリア語が喋れない。
その上結構元気そう。なんでここにいるんだろうと思ったくらいだったし。
という事で、私は係のおねぇさんのところへ行き、自分の症状を大袈裟に伝え、
結局それが功を奏してか、その直後に診察室に呼ばれました。
アメリカ人の女の子ごめんね。

診察室(?というよりは事務室みたいな…)にはいると
先生がやってきて「どうしたの?」と。
朝から色んな人に何度も説明してきた症状をここでも同じように説明。
そのときは特に痛みがなかったのでそう伝えると、
「あ、そう。じゃぁ平気でしょ。」って。へ??
「そうじゃなくて、トイレが辛いんだよぉ」って訴えても、
「うん、薬出すから飲んでおいてね。」って、おしまい。
それって診察なんですか?尿検査とかはないの??
再び呆然とするイタリアの救急病院の現状・・・。
結局どんなに頑張っても問診だけで、その後は世間話に終始してしまい、まったくお手上げ。
挙句の果てには、
「もう5年も住んでいるならホームドクター見つけなよ。そのほうが身のためだよ。」って。
ごもっともなご忠告ありがとうございます・・・。
(確かにそろそろそういう人を見つけたほうがいいのかも)
「4年前にやってるなら、今回も尿道炎だよ。」って、そういう診断でした。
しかしながら、結局、未だすっきりしないので、
そろそろローマの先生に相談しなくては。

そうそう、話はかわりますが、アンディ・フグがこの世を去ってしまいましたね。
自ら空手をやっていた事もあり、創生直後のK1は結構好きだったオマタ。
それに付け加えて、
なんだか最近私の周りではアンディーがらみの話が多かったというのもあり、
気になっていた矢先の話だったので、すごい驚きとショックでした。
その上、彼をこの世から連れ去った病が、
奇しくも私にはとても引っかかる「白血病」。
これはどういう因果なのだろうかと思うほどです。
格闘技界としてはかなり惜しい人を亡くした形となりましたね。
彼が自分の世界とその技に注いできた精神が
よい形でこれからも生き続けることを願ってやみません。
心からご冥福をお祈り申し上げます。

いよいよ、吉川晃司が動き出します。
9月27日に新曲「ナイフ」発売。そして10月7日には映画「漂流街」公開。
その頃に合わせるような形で帰国が実現しそうな勢いです。

8月13日のおまちゃん

すっかり夏になってしまいました。
日本では暦の上ではもう残暑ですね。
フィレンツェは暑い日が続いておりますが、
幸いにもクーラーどころか扇風機も使わずに過ごせるので、体はつらくありません。
気温では40度近くにまで上るのですが、さすがにからっとしているのでしょうね。

イタリアは8月になると軒並みお休みにはいります。
フィレンツェの街も、ウチの近所などは段々と閑散としてきました。
みんな海辺に向けてヴァカンスに出かけているんです。
街の中心部は観光客でいつものようにごった返しておりますが。
8月15日は「聖母被昇天祭」という事で、イタリア全土がお休みという形になります。名目上は。
それでも最近は観光客の事も考えてか、オープンしているお店も増えています。
郊外の小さな街はその限りではありませんが、さすがに観光でもっているフィレンツェは
そこそこ活動ができる状態になりそうです。
主要な美術館の開館も決定したので、この時期にイタリアに来る方も少しは楽しめそうですね。

両親のイタリア襲撃に伴い、念願のドロミテ渓谷に行ってきました。
ヴェネツィアの北、南アルプス山系の一部にあたるドロミテ渓谷は美しいところでした。
3000メートル級の山々にゴンドラで上れてしまうというのが私には個人的に驚きでした。
富士山の麓で育った私としては、3000メートルの山って、かなりの大きさですから。
子供の頃、汗水たらして登った富士山。そこにゴンドラがかかっているようなもの!!
うーん、素晴らしい。
3000メートルの上空から見下ろす景色は壮大で、言葉では表せないくらい。
まさに天国かと思うところでした。
きれいな空気を吸って、壮大な景色を眺め、つくづく自分のちっぽけさに気づいて
本当に色々考えてしまいました。
自分の歩んできた道。これから歩こうとしている道。
自分はどの程度の山を自分の後ろに築いてきたんだろうなぁって。
そしてこれからどこまで高くのぼりつめることができるんだろうなって。
人生の転換期にきているのかとも思ったりね。

イタリアの川はどれもこれもお世辞にもあまりきれいとは言えないものばかり。
しかしながら、今回私ははじめてイタリアで汚れていない川を見ることができました。
対策を練って自然保護に力を注いでいる事もあって、本当にドロミテの水は透き通っていました。
街角に小さな水道がついていたりするのですが、
蛇口を捻るとキンキンに冷えた水がほとばし出て来て、気持ちよかったし。
さすがに標高が高いので、体感気温は低めでしたが、
予想していたほど肌寒くもなく、心地良い滞在でした。
「美しきイタリア」で詳しく紹介しています。よかったら覗いてください。

7月はビリーの体調が芳しくなく、バタバタしているうちに終わってしまいました。
HPの更新もすっかり遅れていました。久しぶりの更新となりました。
ビリーは結局何らかの毒物かウィルスによる中毒ということで、
とりあえず闘病生活を終えて、今は元気にしています。
ただし、原因がはっきりしていない事もあって、9月になったら血液検査が待っています。
ビリーにはまだまだ過酷な試練がたくさんです。小さな体でよく持ちこたえてくれました。
そんなビリーの回復祝いに思わず衝動買いしたフリスビー。
今は毎日お散歩の途中の広場で、フリスビーで遊べるほどになりました。
感謝の気持ちを忘れることはできませんね。本当に。
6月28日のおまちゃん

お待たせしております。
更新が遅れまくった6月もあと数日で終わり。
イタリアは相変わらず暑い日が続いています。最近は暑すぎて脳みそも溶けそうです。
毎年の事ですが、日常生活の中ですっかり日に焼けてきて
日焼け止め対策を手抜きしがちな足などはしっかりサンダル焼けになっています。

忙しい合間にも楽しむ事は忘れない私としては、
今年はじめてフィレンツェにやってきた「FESTIVAL BAR」に行ってまいりました。
これは毎夏恒例の音楽の祭典で今年で37回目になります。
今までフィレンツェを舞台にした事がなかったのが不思議なくらいです。
場所はサンタクローチェ教会広場。
ここはこの時期フィレンツェの伝統行事古式サッカーを行うためにしっかりセッティングされていて、
そこを有効利用する形となりました。しかし収容人数は少なくて14000人。
私が発売初日に前売りチケットを買いに行ったときはさほどでもなかったのに、
頼まれて2日後に追加のチケットを買いに行ったときには既に14000枚が完売。
なかなかの人気に驚きました。
当日会場に行ってみて更に驚いたのは、観客層が圧倒的に若いってこと。
パワー溢れているので、21:00開演なのに、
場所取りのために(全席自由席なので早い者勝ち)
なんと15:00頃から会場に並んでいたらしいです。
中には暑さのため日射病にやられて意識を失う人もいたとか。
さすがにそこまではもうできないなぁと変に感心。
1日目は開演直前に行って、アリーナ席の後ろのほうを確保。しかし、全然見えなくてちょっとガッカリ。
でもその場の雰囲気を楽しめる私と同居人の真理子ちゃんは大喜びで歌って踊る2時間でした。
二日めは石田親分も交えて同居人三人組みで乗り込みました。
石田親分の人徳もあって、ステージ右真横に陣取ってしまいました。
しかし、ここもライトやスピーカーなどが置かれているため
決して最高のポジションではなかったのですが。
周りの若者に混じって大騒ぎするにはもってこいの場所でした。
さて、出演者に関しては、最後の最後まではっきりしない部分があって、ずっと振り回されてしまいました。
最初の発表では、リッキー・マーティンやボン・ジョヴィまでくるような事をいっていたので、
私はそれを楽しみにしていたのですが、結局はどちらも来ませんでした。
一晩に20人近くのアーティストが舞台に上るので、それはそれで結構豪華。
イタリア人のアーティストが6割。外タレが4割っていうところでしょうか。
イタリア国内ではかなりの人気を誇る人たちが結構いたので、
最終的には、リッキーなどいなくても充分満足した私です。
デジカメを持参してはいたのですが、(もちろん持ち込みはなんの規制もなし)
残念ながら射程距離が遠すぎてありさんのように写ってしまったので、掲載を断念しました。
もっと詳しい事が知りたい方は直接フェスティバルバールのサイトへどうぞ。
www.festivalbar.com

7月2日から5日まで3泊でイスキア島に旅行に行ってきます。
その間はメールチェックをしませんので、よろしくお願いします。
昨年の夏訪れて、一気にお気にいりになってしまったイスキア島。
今回はフォリオ地区に滞在予定。
ここは海に温泉が湧いていて、自分で露天風呂が作れそうだし、
イスキア島で最大の公共温泉施設ポセイドンもあるので、湯治(??)にはもってこい。
ちょっと疲れた体を休めてきます。
もちろん美しきイタリアのネタを探してきます。
楽しみに待っていてください。

6月1日のおまちゃん

毎日、本当に暑い日が続きます。
まだ湿度もある程度あるので、ちょっとべとつきますが、
それでも、日本のジトジトとは違いますからね。かなり過ごしやすいですけど。
日照時間も1日1日確実に長くなっていて、
最近では夜9時頃になってもまだ明るさが残っていたりします。
忙しいのもあって、ビリーの散歩がいつも20:00過ぎになってしまうのですが、
その時間にアルノ川のほとりを歩いていると、ちょうど夕日に照らされます。
地面に伸びるビリーの影を見て、なんだか一瞬幸せな気分になってしまいます。

毎年この季節になるとやってくるクラシックカーレース・ミッレミリア。
今年は5月27日にフィレンツェを通過しました。
今回は石田親分がお友達の車の助手席に乗って参加していたので、
おにぎりと麦茶の差し入れをもって待機していました。
とても天気のよい土曜日で、沿道で応援する人の姿もかなり多かったです。
例年ですと、シエナ側から上ってきてフィレンツェにはいってくると、
サンタ・トリニタ橋を渡ってすぐに右折をしてポンテ・ヴェッキオのところから中心街に入り、
シニョーリア広場、カルツァイオリ通り、そしてドゥオーモ前を抜けて
その後はボローニャに向かう山道にはいるというコースを取ります。
しかし、今年はコースの変更がありました。
前日まではなんの発表もなく、当日新聞を読んで判ったのですけど。
同居人の真理子ちゃん最初この変更を知らずにシニョーリア広場で待っていたらしいのですが、
そちらはマウンテンバイクのコースになっていたため、
同じように警官も出動して交通整理をしていたようです。
不安になって真理子ちゃんが一人の警官を捕まえて尋ねたら、
「ミッレミリア?今日フィレンツェを通るの?知らないよ」ってあっけなく言われたそうです。
これがイタリアの現実なんです。誰も知らないことが一杯あるんです。
関係者だって知らないことがあるんです。
(現に走っている石田親分たちも知らなかったらしい…。)
結局変更になったコースというのは
サンタ・トリニタ橋からそのままブランド通りのトルナブオーニを走り
駅前広場を抜けて循環道路を走ってセストフィオレンティーノ、プラートへと向かうというものでした。
というわけで、サンタ・トリニタ橋の上で待機していたのですが、なかなか到着しない。
最初の一台が通過してから待つこと2時間30分。
ようやく赤いチシタリアに乗った二人組みが到着。無事におにぎりも渡して一件落着。
しかし、残念なことに石田親分たちフィレンツェを出てすぐにリタイアしてしまったようです。
クラシックカーでの長旅は大変でしょうねぇ。
そうそう、このレースには日本人の参加者も結構多くて、
なかには堺正章氏の姿も。
しかし、待っていたその2時間半の間、日向に立ち続けていたため
すっかりこんがり日に焼けてしまいました。
一応、日焼け止めは塗っていたんですけどねぇ。
この
ミッレミリアの様子もアップしました。よかったら覗いてみてくださいね。