Istituto degli Innocenti
捨て子養育院
サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会広場にある
ブルネッレスキ(Brunelleschi)設計建築の
ヨーロッパ最古の養育院

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1419年当時の捨て子増加を重くみた
(なぜか)絹織物組合は養育院の設立を決めます
1421年にはフィレンツェ共和国がこの意向を汲み
絹織物組合を養育院責任者と決定
その設計建築をブルネッレスキに委託し
完成以降は
芸術作品の購入を絶やさず続けていきます
不運なことに1800年代に
その芸術作品の大部分は売却されてしまったのですが
今でも残った作品は付属美術館に収蔵されています
当時苦しい生活をしていた階層も多く
捨て子は後を絶たなかったといいます
乳児も数も多く
当初はフィレンツェの街中にいた貴族の奴隷
(こういうシステムも存在した時代です)に
預けて授乳していたという話もありますし
フランチェスコ一世の時代になると
彼のアイディアで乳牛を二頭飼い
その乳で子供を育てるというシステムも確立されたとか
内部は二つの大きな回廊に分かれていて
「男性部」「女性部」となっていました
この施設内で手に職をつけた男の子たちは
大きくなると社会に出て仕事をして暮らし始めますが
女の子はよほどの幸運をつかんで結婚するか
親が迎えに来なければ
その一生を施設の中で
他の子供の世話をして終えていきます
そのため女性のほうが圧倒的に多く
広い回廊部を女性に当てていました
小さな子供たちのために走り回れるスペースもあり
非常にススンダ施設であったようです

2004年1月4日16:00から二時間だけの特別開館の日
入場料も無料なら無料ガイドもついてくるとあって
さほど宣伝していたわけでもないのに長蛇の列
広い広場を横断するような人の列

前にいたおばさま軍団に
この列の実態を確認してから並んだ私に
「タダだから混むのよねぇ。うぉっほっほっほ」と
高らかな笑い声・・・
フィレンツェの人にも
もっと自分たちの街にある芸術作品に
触れてほしいという
ガイド協会の企画だったようで
ブルネッレスキが設計したアーケード
Pietra serena(ピエトラ・セレーナ)のグレーと
漆喰の白が調和のとれた美しい様式は
ブルネッレスキが生み出した
ルネッサンス様式の代表

柱は古典趣味のコリント様式
柱と柱の間隔、柱と壁までの距離は
それぞれ柱の高さに等しいので
立方体の組み合わせでできています
正面入り口のアーチの天井に描かれた絵は
奥さんを失ってやもめとなったある画家が
養育院で余生を過ごしていたときに描いたもの
あぁ、この作家の名前を忘れました
コジモ一世を讃えるエピソードで飾られています
そして上部に置かれている胸像も
もちろんコジモ一世
因みに正面向かってアーケードの左右にも胸像がありますが
左手のものはフランチェスコ一世
右手のものはフェルディナンド一世で
いずれもコジモ一世の息子
作者はこの養育院で育った子供だといいます
柱の細部にまで凝った装飾
中に入ると小さな中庭があります
中庭にも外部アーケードと同じアーケードが

このアーケードの飾りには
この養育院の設立に携わった「絹織物組合」のマークと
階段をモチーフにした「スカーラ」の紋章、
布で巻かれた幼児をモチーフにした「インノチェンテ」の紋章
この養育院設立以前にフィレンツェで
同じような活動を行っていたビガッロ(Bigallo)の紋章である
「ニワトリ」マークが使われています

付属協会(日曜日のミサのときだけ見学可能)の
入り口の扉の上には
アンドレア・デラ・ロッビア(Andrea della Robbia)の
傑作といわれる「受胎告知」をテーマにした
彩色テラコッタのルネッタ(Lunetta半月形パネル)が
はめこまれています
非常に繊細な作品
そして扉の右手に小さな聖水盤がついていますが
これはアントニオ・ロッセッリーノ(Antonio Rossellino)作
付属美術館の入り口から
中庭のアーケードを見たところ
付属美術館は
その昔子供たちの寝室だった部分
付属美術館には
まだ若きボッティチェッリ(Bottielli)が
師匠であるフィリッポ・リッピ(Filippo Lippi)の
「聖母子像」をまねて描いたといわれる
同名の作品があります
昔は師匠の作といわれていたものですけどね

それからドメニコ・ギルランダイオ
(Domenico Ghirlandaio)の「東方三博士礼拝」
この作品はあちこちに
「養育院のために描きました」的証拠が
見つかるので興味深いです

詳しいことはこちら
彩色テラコッタの「聖母子像」は
ルカ・デラ・ロッビア(Luca della Robbia)作
アーケード正面向かって左手
上に載っている胸像はフランチェスコ一世
この下のほうに穴が開いています
今は鉄格子が嵌められていますが
その昔養育院として機能していた頃は
子供を置いていく親たちが顔を知られることなく
人知れず子供を託していくことができるようにと
設けられた特別装置でした
ターンテーブルが仕掛けられていて
子供をその上においてくるりと回せば
温かい建物の中にそっと送り込めたというわけです

この装置ができる前はアーケードの両側の
道路に面して小さな部屋があり
その外に小さな鐘がつるされていて
子供を託していく人がその鐘をチリンと鳴らすと
中でその音を聞き取った人が出てきて
子供を受け取るという仕組みだったようです
中で鐘の音を聞くだけに座っていた人がいる
というのも原始的です